*子どもの心

放課後児童クラブ「わくわくプラザ」(川崎市の名称)で、13年間保育実践をした。その頃、小学生の子どもたちの悩みをよく聞いていた。
「ねえねえ、学校で嫌なことがあってさ、聞いてくれる?」と言う、高学年女子。「朝から頭いたいから、冷えピタはってよ」と言って、帰る時間までマンガ読みながら、ゴロゴロしている低学年女子。
ボーっとして、部屋のすみに一人でポツンとしている子に「どうした?なんかあったの?」と聞くと、「○○になぐられた」と言ったとたん、大声で泣き出す中学年男子。

ちなみに、現代の小学校では、1年生と2年生を低学年、3年生と4年生を中学年、5年生と6年生を高学年という。中学年の出現は、3年生4年生は意外と難しい年齢で、きちんと対応しなければいけないという、教職員たちの意識のように感じた。


子どもの悩みは、多岐・多様。泣いているから、その子がケンカの被害者とは限らない。大人に訴えて、味方につけて友人関係で優位に立とうする子もいる。
「いじめられた、いじめられた」と、連呼する子の主張を一旦は聞くが、事情をきちんと聞かないと、ホントのことは分からない。

放課後児童クラブでおもろしいのは、自分の小学生時代を思い出せることだ。
「自分も悔しい思いしたよな」とか「小さなウソはついた方が上手くいくよな」などなど。子ども時代の自分と比較しながら、目の前の子どものつらさや痛みを理解していった。

彼らとの年齢差は45歳ぐらい。でも不思議と、泣いていたり、怒っていたりする子どもの心に寄りそっていけば、あまり年齢は関係ないのである。

哀しさや怒りは、大人社会でも存在する。子ども社会だって、人間関係のあり様はそんなに変わらない。泣いて、怒って、笑って、話し合いして、ようやく相手の気持ちが理解できるのだ。

家族関係や職場の人間関係と同じだ。ただ、大人は、理解しあう過程を上手にすり抜ける術を、いつの間にか身につけてしまう。だから、関係性が固定化してしまうのだ。

子どもはストレートに自分の感情を出し、なんとかしようと、頑張る。

子どもは天使ではない。子どもは、立派な人間なのだ。