*子どもに寄りそうこと

1985年ごろ1か月ほど、アメリカ各地の保育所や、各州の行政の児童福祉課に視察に行った。神奈川県下の保育士、施設長、神奈川県児童福祉課の人々など、30人ぐらいの視察団だった。

地方都市ボストンの児童福祉課の職員は、すべて女性であった。家族と子どもの問題が多発していて、問題解決に四苦八苦している様子だった。離婚率が高くなり、親権問題で揺れている家族が多く、子どものメンタルケアができない状況を、率直に語っていた。子どもたちに対して誠実に向き合っている姿勢に、感銘したのを覚えている。

「クレイマー、クレイマー」そのものだと思った。女性の自立・自律思想にともない、シングルマザーやシングルファーザーが増えた。子どもが家族の中では、居場所を見い出せなくなったのだろう。アメリカでもこの頃から、家族療法がしきりに研究・実践されていった。

現代の日本も、同じような状況にある。私は長年、保育士をしていた。そして、定年を期に家族療法を学んだ。保育士や教師などの教育関係者は、保護者に対して、上から目線で対応してしまう傾向がある。アジア文化全般に「親は指導しなければいけない」という概念がある。

現代の子どもたちが置かれている状況は、手作りの食事は少なく、コンビニ弁当やスーパーのお総菜食品が多い。お風呂は、兄弟姉妹でしか入らないという家庭も、めずらしくない。まさしく「指導しなければならない親たち」なのである。

家族療法は、子どもや保護者を指導・教育するのではなく、子どもを取り巻く家族社会を理解することから、スタートする。親族関係を聞き取り、ジェノグラム=家系図を作り、多世代的な関係性を把握する。その中から、子どものパーソナリティや、置かれている状況を理解していく。

子どもの育成は、家族だけが担うものではない。保育園や幼稚園、小学校・中学校の公教育、そして、地域の人々の協力があってこそ、子どもたちはのびのびと育つのだ。

でも、家族の存在が子どもへ与える影響は大きい。家族の愛情の有無は、子どもの潜在意識に深く刻みこまれる。だからこそ、家族関係に恵まれない子、ネグレクトや虐待を受けた子どもには、寄りそう人々が必要なのである。それは、保育士、教師、祖父、祖母、地域の人々が、ふさわしい。子どもの生きてく力になってくれる人々の存在が、大切なのである。

ネグレクトや虐待を描いた映画、子どもに寄りそう人々を描いた映画を紹介する。

🍎 大人は判ってくれない:1959年,フランス映画,フランソワ・トリュフォー監督

🍎 少年:1969年,日本映画,大島渚監督

🍎 クレイマー・クレイマー:1979年 ,アメリカ映画 ,ロバート・ベントン監督

🍎 さよなら子どもたち:1987年,フランス映画,ルイ・マル監督

🍎 コルチャック先生:1991年,ポーランド映画,アンジェ・ワイダ監督

🍎 誰も知らない:2004年,日本映画,是枝祐和監督