*障がいのある子と共に

私が勤めていた保育園は、開園当初から障がいのある子を受け入れ、統合保育を実践していた。

どの子どもも、保育的な大変さはあったが、ちゃんと向き合えばコミュケーションがとれて、楽しかった。

障がいのある子どもの保護者は、通常の育児の何十倍もの大変さがあった。子育ての不安、将来、自分たち親がいなくなった時の不安、など。私たちが考えられないような、生きるためのしんどさを抱えていた。

だから、障がいのある子が一人ぼっちにならないように、兄弟姉妹を次々と生みだした。そして、その子どたちも共に保育し、まさに家族的統合保育を、保護者に学びながら実践していった。

心身に障がいのある子、寝たきりの子、全身に器具を装着してた子、知的障がいのある子、多動で動きまわる子、そして、自閉的な子、等々。障がいのあり様、家族のあり様はそれぞれだったが、保護者同士、お互いに支え合うネットワークを作っていった

人間だから、生きるための考え方が少しづつ違うから、家族構成が様々だから。障がいのある子の育て方で食い違うことも、あったように思う。

その子どもたちの成長にともない、法人がグループホームやデイケアサービス事業を、創造していった。

そして、成人した3人の障がい者が亡くなった。どの障がいのある人も、享年30才前後だった。心臓や肺機能への負担が、かなり大きかったのだと推測する。それぞれのお葬式の日、兄弟姉妹の悲しみは、とても深かった。

兄弟姉妹も卒園児なので、子どもの頃の様子が交差する。保育園時代、障がいのあるお兄ちゃん、お姉ちゃんにクールだった子どもたちが、遺体を前にして大泣きしたり、深い悲しみに耐えていたりした。

保護者の方々の悲しみは、とてつもなく、計り知れないものだった。でも、兄弟姉妹の悲しみや切なさを目のあたりにした時、統合保育を実践してきてよかったと思った。障がいのある兄や姉を、大切な存在として感じていたのだろうと、家族の中心であったのだろうと、感じとれたからである。

この兄弟姉妹は、いくつになっても、弱い人々の支えになっていくだろうと思う。心身障がいを持った兄の死を偲んで、妹たちが言った言葉が忘れられない。

「兄は、家族の中心でした。兄を中心に家族が回っていました。失ってしまった今、これから私たち家族が、どのように生きていくのか、わかりません。でも、兄がいなくなった穴を、みんなで頑張って、埋めていこうと思います」