*社会が変われば子どもが変わる

保育的な観点だと、子どもが変われば保護者が変わる、と思う。

カウンセラー的には、保護者が変われば、子どもが変わるとなる。

卵が先か、ニワトリが先かの議論に、等しい。

でも、どちらが変化しやすいかと言えば、子どもである。

暴言や暴力で虐待したり、自然にネグレクトしてしまう保護者は、自分の虐待が認識できず、しつけの一環だと思っている。

自分の子どもがかわいく思えない場合が、あるのかもしれない。

食べることや排せつの自律などを、他の子どもと比較したりする。

うちの子は、○○ちゃんより遅れているのではないか。なんで、○○くんより、おはしの使い方がへたなんだろう、等々。

そのたびに、イライラして怒ってしまうのかも、しれない。

保育士も、同じように「みんな一緒」の感覚で、同年齢児を比較してしまう場合が、多々ある。

発達心理学のみで、子どもの育成を判断してしまえば、必ず、集団から飛び出してしまう子どもが、出現する。

ひと昔の言い方では「落ちこぼれ」的な、存在だ。

これは、大人の育成観の問題である。この育成観は、子どもに対する一方通行的な、あるべき姿論である。この観点を変えなければ、子どもは救われない。

子どものペースに合わせた育児、子どもに寄りそう保育を実践しなければ、大人の都合に合わせた子どもになるだろう。

2019年10月から、3歳~6歳の子どもの保育園無償化がスタートする。認可外保育園も、その対象となる。

そこで、気になるのは、保育内容の質である。保育士の労働は、本当にきつく、厳しい。賃金が安い。離職率が高く、うつ的情態になる人が少なくない。

保育園無償化は、一見、保護者にとって魅惑的だ。でも、現在の保育園のキャパシティーを考えると、保育園に入れるかどうかは、神のみぞ知る、である。

そして、保育士の保育観が試されている。発達心理学だけでなく、家族心理学的観点が、必要とされていると思う。

家族の情態を理解できれば、子どもへの理解が深まる。個々の子どもを理解できれば、寄りそう保育ができる。

そして、子どもたちが活き活きできる保育内容を、創造できる。

でも、この保育内容の実現は、いばらの道である。

まずは、保育学校の教育内容を検討すること。小学校の教職員なみの、待遇改善をすること。

そうでなければ、数年間は、混乱は続くと思われる。

やはり、子どもを保育・教育するためには、社会全体が変わらなければならない。社会の大人たちの価値観が変われば、子どもが変わるのである。

だから、保護者や保育士だけを、責めないでほしい。

この問題は、現代の日本社会の構造を改革しなければ、いつまでたっても、少子高齢化から脱却できないと、痛切に思う。