*思想より信じる心を

思想は、歴史的な人物が、社会問題を中心に、理論的に組み立てたものであると思う。「〇〇主義であるべきだ」「人間は、国家のために生きるべきだ」のような、論理である。

共産主義思想や、日本の戦前の国家主義思想、等々。社会全体に人間の生き方を添わせていく質のものである。

そのように、生きられない人は、社会からレッテルをはられ、人格否定をされてしまう。

反体制派であったり、障がい者であったり、在日外国人であったり、精神疾患をわずらっている人は、社会が奨励する思想どおりに、生きようとしないし、生きられないと思う。差別を受けるからだ。

同じことが、家族社会の中で、起こるとすれば、どうだろうか?必ず、家族関係は悪化すると思う。

そこで、犠牲になるのが、子どもたちだ。子どもの感性は鋭い。

大人が「こうしなさい!」と、強制的に育成すると、一旦は従うが、同じようなことを強制され続けると、不信感が生まれる。悪さをして、自己表現を試みる。

では、どうしたらいいのだろうか。

やはり、対話をすることである。

社会にとって利用価値のある人間に、育てるのでなく、人間関係において大切な存在として、育成するのである。

子どもを信じること。人格を認めること。

大人を信じられない子どもたち。社会のルールに疲れ切って、精神的疾患をわずらった人たち。

この子どもたち、この人たちは、薬では治せないと思う。

第三者が、相談にのり対話をして、信じる心を、よみがえさせること。

家族や社会の中で、信頼関係の再構築を、援助すること。

それが、カウンセラーの仕事であると、再認識している最中である。

*家族療法、家族心理学とは

私が、家族療法を学ぼうと思ったきっかけは、周囲で家族関係で悩んでいる人が多かったこと。家庭内暴力や暴言などによって、精神的に追いつめられた人がいたことだった。

また、それに輪をかけて、社会的差別やプレッシャーに、押しつぶされそうになっている情態の人が多いからだった。

地域に根ざした保育・教育実践を行うには、理論先行より、実践力の質や、人の心に感応できる能力が問われる。

「○○すべきだ」「○○することが望ましい」という趣旨で実践を行うと、どこかで道を誤ってしまう。正論を主張しても、悩んでいる人には受け入れられない。また、プレッシャーを与えてしまう結果となる。

家族療法は、1950年代にアメリカで始まった。この時代は、フロイトの精神分析による臨床実践が始まって、半世紀たったころだった。個人の精神のみにアプローチするのではなく、家族全体の関係性を対象にして、アプローチしていく療法だ。

フロイトの精神分析は、個人の人格や記憶など、いわゆる「精神疾患」の原因は、個人の内(脳神経)にあると考えた。

それに対して、家族療法は、家族間のコミュケーションのあり方によっては、生きづらさを抱えた存在が出現してしまう、という考え方だ。

だから、人間のパーソナリティーは、千差万別である。家族の関係性も、千差万別だ。

人間は人間の中で育つ。

家族というくくりに必要以上にとらわれていたり、家族の理想像を押しつけたりすると、必ず、苦しむ存在がで出てくる。

その存在は、子どもや青年が多い。非行にはしったり、引きこもりになったり、うつ的情態になったりする。

その状態を、当事者のパーソナリティーや、保護者の育て方に、原因を追究してしまうと、改善策を見い出すことはできない。

1990年代以降、アメリカやヨーロッパでは、家族療法は医療機関だけでなく、学校現場や児童福祉施設、老人福祉施設などでも実践されるようになった。

日本では家族療法を広めるために、「日本家族カウンセリング協会」「日本家族心理学会」など、様々なNPO法人や社団法人が存在し、活動している。

また、解決志向アプローチ、ブリーフセラピー、ナラティブアプローチ、オープンダイアローグなど。観察と実践に基づいた家族療法が、アメリカ、ヨーロッパで研究され、生みだされてきた。

日本でも徐々に、その実践方法が伝播していて、新たな取り組みをしている地域団体や、セラピスト養成団体が活動している。

私も、いくつか経験したが、自分の生育歴や、気づかない心の内を、認識することができた。

アルフレッド・アドラーは、アドラー心理学として、日本においては、この10年ぐらいで有名になった。フロイトやユングと同時代の研究者だが、これまで2人の業績に隠れて、なかなか、陽の目をみなかった。

でも、人間の成長には共同体感覚が重要であると、主張し続けた。そして、子どもの家族内教育や、公的教育機関に働きかけ、熱心に教育問題に取り組んだ研究者であった。

=アドラーの言葉から=

子どもたちに もっと勇気と自信を与えることで

また 子どもたちに困難は克服できない障害ではなく

それに立ち向かい征服する課題であると 見なすよう教えることで

すべての子どもたちについてその精神的な能力を 

刺激する努力をすることを 主張する

*自死を選ぶ思春期前に

現代はひと昔前に比べて、思春期に入る年齢が、早まっているように思う。

それぞれの児童の個性によるけれども、20年くらい前は、中学生ごろ、12才から13才ぐらいが、思春期の始まりだったように思う。

だが、今では小学校高学年、10才から11才ぐらいだと感じる。

女子と男子では,差異がある。女子は初潮を迎えるぐらいが、思春期の入り口だと思われている。男子はなんとなくはっきりせず、ある日突然、射精を迎える。

身体の変異と心の情態が、思春期を生み、混乱させる。

様々な要因が考えれれるが、情報化社会になり、子どももスマホを持ち、興味がある情報が、簡単に得られる。また、離婚した家族や、一人親家族が増え、子どもが家族の一員として、自律しないと生きていけない。

保護者が、子どもたちに課する、家族内での労働や、受験を目指した塾通いなど。やらなくてはいけないことが、多い。

また、民族性の違う父と母。多元的な文化を持つ、自分のアイデンティーを考え、模索し続ける子どもたち。文化の違いや、パパやママのルーツを大切にしながら、自律しなければならない。

子どもたちは本当に、大変だ。自分で考えなければ、家族の中でも学校社会でもやってはいけない。

だから、大人の事情を、理解できる子が、多くなった。ママの大変さや、パパへの気遣いなど。なんと、大好きなママへの配慮は、4才・5才児でも考えている子どもがいる。びっくりだが、真実の話しである。

昨年度、2017年4月1日から2018年3月31日までの期間、児童の自死・自殺の数が過去最多となった。(文部科学省の報告から)

その要因は、親子関係の不和や、家族関係に問題がある場合が、多い。学校でのイジメ問題による自死・自殺は、比較的、世間に知らされる場合がある。でも、家族の問題は、なかなか表面化しにくい。

当事者が、ガマンしてしまうからか。思春期という、はれ物に触るような情態に、保護者が、教育者がタッチしたくないからか。

どちらにしても、コミュケーションが成立してないと、当然、子どもは孤立していく。

発達障がいと診断された子どもが、投薬をうながされ、何年も飲み続けると、副作用を起こす。

向精神薬のようなものを服用すると、自死思念が生まれるのではないかと、懸念されがちだ。はたして、そうだろうか?

発達障がいと言われる子どもは、少なくとも、保護者や教師が、その時々で、注意を向けている。その方法論の是非はともかく、いいにつけ、悪いにつけ、大人が関心を持ち続けている。

だから、薬を飲んでいたとしても、子どもには安心感があるのだ。ママやパパが、先生が、ぼくを、わたしを見ていてくれる、と感じられる。

自死思念が育ってしまう環境は、大人の無関心や、共感性のない状況から生まれる、と思う。

または、強制的な育成観や、強力な指導性。子どもの心を無視し続けると、ふと、死にたくなるのかもしれない。

だから、「○○するべきだ」「○○しなければ、認めない」などという、育成観や教育観を持たないでほしい。

思春期に入る、0才から12才ぐらいまで、のびのびと過ごせる環境を与えてあげ、子どもの心に寄りそってほしい。

そして、子どもの表情や態度を、よく観察してほしい。暗い表情をしていたり、元気がなかったら、優しい言葉をかけてほしい。

必ず、子どもは大人の助けを求めて、サインを出している。そのサインに気づかない、大人の感性がにぶっていると思う。

保護者だけでなく、保育・教育に携わる者、カウンセラー、地域の人々、すべての大人が、子ども心に寄りそえば、自死を選ぶ子どもは、少なくなるだろう。

*本当のパパとウソのパパ

放課後児童クラブで、実践していたころ、よく子どもたちの悩みを聞いていた。

一人親家族が、全体の3分の1くらいいて、放課後児童クラブを利用する回数が多かった。土曜日は比較的のんびり過ごしていて、おしゃべりする時間があった。

ちなみに、私は、子どもたちから「おぐらっち」と呼ばれていた。

<Aくんの話し>

近くの公園で、Aくんと男の人が話しているのを、時々、見かけていた。

で、Aくんにストレートに「あの人はだれなの?」と、聞いてみた。

「あの人は、本当のパパなんだ。土曜日の午前中は、公園でパパと待ち合わせているんだよ。僕のこと、心配してくれて、会いに来てくれるんだよ」

「おうちに、パパが会いにいけないの?」と聞くと。

「おうちには、ウソのパパがいるから、ダメ。本当のパパに会うのは、ママも怒るから、ナイショなんだ。だから、おぐらっちもナイショにしてよね」

「うん、わかった。本当のパパは、何が心配なのかな?」

「ぼく…、ウソのパパに、時々、なぐられるから。本当のパパが、心配して会いに来るんだ。だから、本当のことパパに、全部、話すんだ…」

この時、Aくんは小学1年生だった。

<Bくんの話し>

小学3年生になったら、急に暴れん坊になって、おじいちゃんが手を焼いていた。離婚した後に、月に1回、本当のパパと兄弟で、映画を見に行って、ファミレスでご飯を食べていた。

「ねえ、最近、どうしたの?おじいちゃんが、Bくんは、全然大人の言うことを聞かないって、心配してたけど」

「だってさ、ママったらひどいんだよ。これからは、パパと会うのはダメっていうんだよ。パパは本当は優しいのにさ…。弟だってパパが大好きなんだよ。それなのに、なんで会っちゃいけないんだよ」

と言うと、涙をいっぱいためて、泣き出した。私も、もらい泣きしてしまった。

実は、きれいなママに新しい恋人ができた。子どもたちが彼と仲良しになるように、本当のパパに会わせない方針をたてたとの事。

半年ぐらいして、Bくんと新しいパパ?が、公園でキャッチボールをしていた。

「新しいパパと、仲良しているじゃない?良かったね」と言うと。

「新しいパパじゃないよ。ママの恋人だよ。ママのためにやっているんだよ。本当のパパは、引っ越して、今はどこにいるか、わかんない…」

と言って、またまた、涙をためて大泣きした。私も、一緒に泣いた。

<Cくんの話し>

「ねえ、おぐらっち。電子レンジで、料理ってできるの?」

「うん、できるよ。なんで?電子レンジで、何かつくりたいの?」

「パパが帰ってくるのが、遅くてさ。ガスは使っちゃダメって言うし。お腹がすいちゃうからさ。ぼくが作れるかと思って…」

この時、Cくん小学2年生。お兄ちゃんとパパの3人暮らし。

電子レンジ料理は意外と、難しいので、コンビニで売ってるものを、チンして食べることを、提案してみた。

しばらくして、Cくんから報告があった。

「おぐらっちの言ったこと、パパに話してみたら、パパも考えてくれてさ。チンして食べられるもの、買っておいてくれたよ。それと、土曜の夜は、ママがきて、ごはん作ってくれてる」

「良かったじゃない。ママとパパと、みんなで、一緒にご飯たべられるんだね」

「ううん、違うよ。お兄ちゃんとぼくとママだけの3人だけ。パパはその時は、友だちと、お酒をのみにいってるみたい。パパはママに会いたくないみたいだからさ」

たんたんと語る表情は、とても大人なびていた。

Cくんはその後、パパと一緒に住みながら、お休みには、お兄ちゃんと一緒にママと共に過ごしているようだった。

Aくん、Bくん、Cくんは、今頃は中学生か高校生。どんな風に成長しているのだろうか。

やはり、離婚した家族が歩む道は、結果的に、子どもの心を置いてきぼりにしてしまうことが、ありえる。

だから、第三者のフォローが重要であり、必要であると思う。

放課後児童クラブ、学童保育が、そのような子どもたちのより所になってほしいと思う。10年ぐらい前のシークレットな話しを、フィクション風に書いてみた。

*社会が変われば子どもが変わる

保育的な観点だと、子どもが変われば保護者が変わる、と思う。

カウンセラー的には、保護者が変われば、子どもが変わるとなる。

卵が先か、ニワトリが先かの議論に、等しい。

でも、どちらが変化しやすいかと言えば、子どもである。

暴言や暴力で虐待したり、自然にネグレクトしてしまう保護者は、自分の虐待が認識できず、しつけの一環だと思っている。

自分の子どもがかわいく思えない場合が、あるのかもしれない。

食べることや排せつの自律などを、他の子どもと比較したりする。

うちの子は、○○ちゃんより遅れているのではないか。なんで、○○くんより、おはしの使い方がへたなんだろう、等々。

そのたびに、イライラして怒ってしまうのかも、しれない。

保育士も、同じように「みんな一緒」の感覚で、同年齢児を比較してしまう場合が、多々ある。

発達心理学のみで、子どもの育成を判断してしまえば、必ず、集団から飛び出してしまう子どもが、出現する。

ひと昔の言い方では「落ちこぼれ」的な、存在だ。

これは、大人の育成観の問題である。この育成観は、子どもに対する一方通行的な、あるべき姿論である。この観点を変えなければ、子どもは救われない。

子どものペースに合わせた育児、子どもに寄りそう保育を実践しなければ、大人の都合に合わせた子どもになるだろう。

2019年10月から、3歳~6歳の子どもの保育園無償化がスタートする。認可外保育園も、その対象となる。

そこで、気になるのは、保育内容の質である。保育士の労働は、本当にきつく、厳しい。賃金が安い。離職率が高く、うつ的情態になる人が少なくない。

保育園無償化は、一見、保護者にとって魅惑的だ。でも、現在の保育園のキャパシティーを考えると、保育園に入れるかどうかは、神のみぞ知る、である。

そして、保育士の保育観が試されている。発達心理学だけでなく、家族心理学的観点が、必要とされていると思う。

家族の情態を理解できれば、子どもへの理解が深まる。個々の子どもを理解できれば、寄りそう保育ができる。

そして、子どもたちが活き活きできる保育内容を、創造できる。

でも、この保育内容の実現は、いばらの道である。

まずは、保育学校の教育内容を検討すること。小学校の教職員なみの、待遇改善をすること。

そうでなければ、数年間は、混乱は続くと思われる。

やはり、子どもを保育・教育するためには、社会全体が変わらなければならない。社会の大人たちの価値観が変われば、子どもが変わるのである。

だから、保護者や保育士だけを、責めないでほしい。

この問題は、現代の日本社会の構造を改革しなければ、いつまでたっても、少子高齢化から脱却できないと、痛切に思う。

*発達障がいとは

いわゆる「発達障がい」の子どもとは、どのような特徴の子どもなのだろうか。

アスペルガー症候群、高機能自閉症、ADHD、学習障害、等々。最近は、自閉症スペクトラムとか、広汎性発達障害として、大まかな名称でくくられている。

何故かというと、その特徴が重複していたりして、はっきりとした症状を決めかねるからだ。

おおむね、この症状が浮上してくるのは、小学生時期だ。勉学や学習がスタートし、保育園や幼稚園でははっきりしなかった、子どものパーソナリティーが出現するからだ。

授業についていけないで、教室から出て、校庭で遊んでる子。

毎日のように、友だちとケンカして、放課後児童クラブに来たら、再びケンカをしようとする子。

イライラした何かがあり、気分が落ち着かないと、様々な器具や壁に八つ当たりする子。

それらの子を、発達障がいと規定するなら、そうなのかもしれない。でも、児童精神科や心療内科にかかり、広汎性発達障害と診断されると、薬が処方される。

そして、きちんと薬を飲ますと、1週間もしないで症状が落ち着く。この状況を病気と判断されれば、症状は治まるのである

私は、何度かびっくりした経験がある。薬ってすごいなあ、と。いい意味でも、悪い意味でも。教師や保護者、放課後児童クラブ実践者にとっては、落ち着いてくれれば、子ども間のトラブルが減る。だから、大人は助かる。

でも、3年以上薬を飲み続けている子は「食欲がない」と、昼ご飯を食べなかった。また、いつも動き回っていた子が「気持ち悪い、だるい」と言って、屋外で遊ぼうとしない。

確実に薬の副作用だと思った。精神科医も、そのように判断したらしい。

では、薬に頼らない、改善方法はあるのだろうか。うつ病をわずらった人が、長年薬を飲んでいても、一向に改善せず、副作用に苦しんでいる人が多い。

同じようなことが、発達障がいの子どもたちに及ぶとしたら。そう思うと、胸が苦しくなる。保護者からすれば、良かれと思っての投薬だと思う。

あるカウンセリング講座で、家族療法の研究者が言った言葉が、脳裏に焼き付いている。

「うつ病は、薬では治らない。だから、カウンセラーを目指す人たちが、カウンセリングスキルと人間力で、改善するのが最善である」と。

同じことが、「発達障がい」の子どもたちにも、当てはまるのではないかと、思うようになった。

真のカウンセラーの道は、いばらの道かもしれない。カウンセラーだけでなく、苦しんでる子ども心を察知できる、大人の感度が試されている。でないと、子どもの心と身体は、崩れてしまうかもしれない。

子どもには、それぞれの心の情態を理解しようとする、大人の存在が必要だ。発達障がいであっても、なくてもだ。

シンガーソングライターの米津玄師さんは、20才で高機能自閉症と判断されたようだ。子ども時代は、ご本人も保護者も、大変だったと推測する。

大ヒットした「レモン」は、亡くなった祖父への鎮魂歌だった。子どもの頃の理解者が、お爺さまだったのかもしれない。

「飛燕」という曲の中の、一節を紹介する。

美しさを追い求め 友さえもののしれば 

這い回る修羅の道 代わりに何を得たのだろう

いきり立つ声には 切なさが隠れてる 

誰がその背中を 撫でてやろうとしただろ

*父の戦争ばなし

私の父は、すでに17年以上前に亡くなっている。 享年75歳、バリバリの戦中派だった。19歳で志願兵になり、海軍に入った。軍人でも最下位だったが志願しただけあって、戦場に行くことに、希望を持っていた。


南洋諸島に配属になり戦況が悪化していく中、様々な苦境に出合う。まず、南洋諸島には物資が届かず、食料がなかった。葉っぱが主食みたいなもので、ネズミはごちそうだった。当然、餓死者も出た。しまいには、土まで食べたようだ。

軍属には、朝鮮半島出身者の人々が多くいた。朝鮮半島出身の軍属も、戦後は日本に連れて来られた。「帰還できたのは奇跡だ」と、父は言っていた。

なぜ、こんな状況を私が知っているかというと、子どもの頃から何かにつけて、戦争ばなしを聞かされてきたからだ。

食事をしている最中に「お前たちは幸せなんだぞ、好きな物が食べられて。俺が戦争に行ってた頃はなあ…」と、突然話し出す。私や弟がげんなりして、母がストップをかけるまで止めどもなく話す。

また、横浜にある氷川丸に、何回も連れてかれた。横須賀の猿島にも行った。氷川丸は戦中戦後、海軍特設病院船として運行され、多くの軍人軍属の戦傷者や帰還者を日本にはこんだ。猿島は明治時代以降、東京湾要塞の一部で、猿島砲台(大砲を設置する台座)が有名だ。

JR川崎駅前は、今ではとてもきれいになった。人通りも多くなり、駅前広場でギターや電子ピアノを使って、ストリートミュージシャンが歌っている。

50年ほど前は、暗い地下道があり、白装束の元軍属の人々が、アコーディオンを奏でて軍歌を歌っていた。募金活動をしていたのである。この人々が朝鮮人(当時)であったのは、その頃はわからなかった。

彼らは、アジア・太平洋戦争中は日本人として、戦地に連行され、サンフランシスコ講和条約後は、韓国・朝鮮籍になった。それ以後、日本の援護法の対象から排除され続けた。

私が、5歳ぐらいの頃、母にねだって10円をもらい、缶に入れたことがある。その時、父は私を叱った。「あの人達は、国から補償されているから、金なんていれるな!」と。

この当時の、元日本軍在日韓国人傷痍軍人会の人々の闘いを、1963年、日本テレビ制作のドキュメンタリー作品「忘れられた皇軍」に、映し出されている。監督は、故・大島渚監督である。

縁があって、大島渚氏と知り合い、「忘れられた皇軍」を、見ることができた。父と一緒に見た時、父は泣いた。「あの人達は、朝鮮人だったのか」と。同じ南洋諸島でアメリカ軍と闘い、食べるものがなく、苦しい思いを共にした、戦友だったのか、と。

父は何を伝えたかったのか。戦況における苦労ばなしか。それとも、意識的な反戦志向か。どちらでもない、と今では思う。自分の経験を通して「戦争は、飢餓と差別を生む」という、メッセージだった。


父が伝えてくれた事に、今では感謝している。子どもの頃は、悩ましくてしょうがなかった戦争ばなしは、心の中で生き続けている。

戦争を経験したことのない世代が、どのように「アジア・太平洋戦争」を咀嚼して、表現すればいいのか、私のライフワークの一つである。

*在日する人々と共に

川崎市川崎区という地域は、戦前、戦中、戦後を通して、朝鮮半島出身者の、在日韓国・朝鮮人が多く住む、土地柄である。

私は小学校、中学校、高校と、かならず在日韓国・朝鮮人の友だちがいた。日本名(通称名)を使っていた子が多かった。

家族が焼き肉店を経営していたり、「あたしのお父さんとお母さん、韓国人なんだ」と、告白されたりした。そうなんだぁ、と思いながらも、自分の家族とは少し違う、家族状態を受け入れいるのに、戸惑ったこともある。

高校卒業後、どんな職業につこうか迷っていた頃、友人を通して、社会福祉法人青丘社(せいきゅうしゃ)に出会った。園長先生は在日韓国人、保母(保育士)もほとんど在日韓国・朝鮮人。日本人保母(保育士)は一人だった。

ちなみに「青丘」は、中国からみた東方の地域諸国をさし、また、朝鮮半島地域を示す言葉である。

その状況に、思いっきりダイブする気持ちで、保母(保育士)として就職をした。保母資格がないにもかかわらず。後に、資格試験を受けて取得した。

私は異文化経験だと思い込んでいたが、何年か保育業務を必死にこなすうちに、朝鮮文化と日本文化の共通性を、見い出せた。

だから、異質観より共通観を楽しんだ。

キムチは辛いけど、日本の白菜の塩漬けと似ている。「チジミは、てんぷら粉を少し使うとカラッと焼けるよ」と、ハルモニ(おばあさん)に教わった。

ご飯に味噌汁を入れる汁めしは、クッパではないか!

今現在、差別意識にがんじがらめになって、ヘイトスピーチを叫んでいる人々は、在日の人々と接したことはないのだろうか。

隣人として、友人として、交流した経験がないのか、敵対したい観念が先に立つのか。どちらにしても、コミュニケーション能力がない、と思う。

レイシズムは、あらゆる属性を固定的に見て、自分の解釈で、当事者を攻撃してくる。人種、民族、性差、障がい者、貧困層、等々。モノの見方が一方通行で、観念優先だから、支配したい感情がストレートに出るのだろう。

私が暮らし、仕事している川崎区は、さまざまな民族、人種の人々が住んでいる。同じ民族で家族を構成しているとは、限らない。

パパは日本人、ママはフィリピン人。アボジ(お父さん)は在日韓国人、ママは中国人、等々。民族的な複合家族が、存在している。

その子どもたちを、ハーフではなく、ダブルと私たちは呼んだ。

日本政府は2019年4月1日から、入管法を改正して、外国人労働者を大幅に受け入れる。その家族の子どもは、ほとんど、日本の保育園や小学校に入るだろう。

排除ではなく、地域のメンバーとして。異文化を楽しみ、学ぶ存在として、受けとめていこうではないか!

私の母は、山梨県の身延町で育った。そこに流れる早川のダム建設に、アジア・太平洋戦争中に、たくさんの朝鮮人(当時)が働いていた。

小学校分校の朝鮮人の友だちが、事故で亡くなった。分校全体でお葬式に行ったとき、「アイゴー、アイゴーって家族が泣いてたんだよ。本当にかわいそうで、みんなで泣いたよ」と、子どもの頃から聞かされた。

アイゴーとは朝鮮語で、感極まった時に発する言葉。

子どもの頃から、母に聞かされていて、良かった。今の自分があるのは、この言葉のおかげかもしれない。

*人間関係づくりのスキル

2019年の2月から3月にかけて、Facebookを通して、さまざまな人々と知り合いになった。

面白いなぁと思ったのは、それぞれの経験知と技術をいかして、新たな取り組みをなさっている人々が、いることだった。

元スクールカウンセラーの方が、不登校の子どもたちを中心に、学習サポート塾を主宰している。

フォトグラファーの方は、瀬戸内の小島に福島の子どもたちを招待して、保養プロジェクトを展開している。

理学療法士が、乳幼児からお年寄りまでの、地域包括ケアシステムを目指して、地域のネットワーク作りに励んでいる。

小学校の元教頭先生が、うつ病を発症した教師の存在を契機に、統合医療に頑張っている。

うつ病をわずらった当事者の方が、うつ的情態の人とその家族に対して、対話を行ないながら、ケアをしている。

障がいのある人が、作業所で働きながら、障がい者の視点から「ヘンだと思った事は言っていこう」と、社会や健常者に問題提起をする、努力をしている。

心あたりのある方は、敬称略でゴメンナサイ…。

お会いしたことがない方々だが、人間と人間の関係づくりに頑張っていて、実践的に面白いし、自分の活動の参考になる。

そして、皆さんに共通することは、社会的資格がある無しに関係なく、人間関係づくりのスキルにたけているということだ。

SNSを、在宅ワークの勧誘や、出会い系のアプローチなど、一方通行の関係づくりに使っている人々がいる。受け取った側に、興味がなければ、それで関係性は切れる。

自分の夢とか思想とか、欲望とかが、アワのように消えてしまうことが、寂しくないのかなぁ、と思う。関係づくりは理論や欲望優先の、一方通行では成立しない。

それは、リアルな日常でも同じことが言える。一方通行的関係づくりは、支配関係や依存関係、または拒絶する心を生む。

誠意をつくして、言葉をつくして、人間関係づくりのスキルを身に着けよう。それは、喜怒哀楽を率直に出してもいいのだ。キレイにまとめないで、我慢をしないで、開放的な対話をしよう。SNSでも、日常生活でも!

家族療法の進化系で、フィンランド発祥の「オープンダイアローグ」という、ケア方法がある。正しく、上記の方々は、その実践者である。

*保育とカウンセリング

保育歴、通算35年。現在でも補助的に、乳幼児の保育業務をお手伝いしている。還暦を過ぎた年齢では、正直、保育実践はきつい。

50歳代は、小学生の放課後児童クラブ=わくわくプラザ(川崎市の名称)で、保育実践に励んだ。

だから今、児童の自死・自殺を見聞きするたびに、私がみていた子どもたちの顔や表情が、浮かんでくる。

その場の雰囲気をキャッチするのが苦手で、仲間はずれにされてた低学年女子。

毎日のように暴言をはいて、女の子集団から無視され続けた、低学年男子。

授業についていかれず「ぼくはダメなヤツだから」とぼやく、すべてに自信のない中学年男子。

いつもグループの中心にいて、友だちに命令口調だった高学年女子が、ある日突然、グループ内で無視された事。

あまり良くない場面が、浮かんでくる。でも、トラブルが噴出するたびに、子ども一人一人に話しを聞いた。問題解決するために、子どもたちと話し合った。

私一人でやったわけではない。スタッフ間で問題意識を共有し、役割分担をしながら実践をした。チームプレーじゃないと、やり切れない。必要であれば、保護者とも話し合った。

子ども実践は骨がおれる。気力がなければ、子どもとつき合えない。だから、学校教育の大変さ、先生たちのしんどさも、よく理解できる。

でも、子どもたちの心情は、もっと大変なのである。その大変さを理解するのに、時間がかかった。子どもの様子を観察し、子どもの話しを聞き、じっくりとコミュニケーションを取らなければ、理解できなかった。

退職をする少し前から、家族の問題を学習したいと思い、通信教育やいくつかのカウンセリング講座を受講した。

子どもの問題は、保育園や幼稚園、小学校・中学校の公的機関の教育問題だけでは語れない。

子どもの家族関係は、どのような状態なのか。何を食べて、どのような生活環境で育ったのか。子どものパーソナリティ育成に、大きく影響する。

家族は子どもが生まれて初めて出会う、社会集団である。その集団の構成や保護者の子育て観が、子どものパーソナリティを、いろいろな方向に向かわせる。

この事実を、さまざまな家族療法から学ぶことができた。保育は、教育とは若干違う。指導する実践より、寄りそう実践が本来のあり方だと思う。

それは、乳児や障がいのある子には、ゆったりと寄りそわなければ、保育は成立しないからだ。

乳幼児保育、学童保育、家族への子育て支援も含めて、寄りそう実践が求められている。それは、子どもの心の内と、保護者の思いをじっくりと傾聴し、理解できるような感性を磨かなければならない。

そのような、カウンセリング能力を養うことが、今、実践者には必要なのではないだろうか。

保育・教育的カウンセリング能力を養えて、資格取得が可能な、協会と法人をご紹介する。

🍀 NPO法人日本家族カウンセリング協会:家族相談士

🍀 日本ブリーフセラピー協会:ブリーフセラピスト

🍀 NPO日本教育カウンセラー協会:教育カウンセラー

🍀 公益社団法人全国私立保育園連盟:保育カウンセラー 

🍀 公益社団法人日本保健福祉士協会:保健福祉士(国家試験)